10月03日付 日経BizTechの報道「「危ないのはアダルト・サイトだけではない」ワンクリック詐欺の相談が過去最多に」へのコメント:







ワンクリック詐欺って・・・懐かしい。
こういうのって基本的に無視すれば良かったんだっけか?



 小学生女子児童のニュースは、とても胸が苦しくなるものがありました。
 誰が見ても、幼くして自ら命を断つところまで追い詰められた彼女は可哀想だ。
 おそらく、今を平和に生きている俺なんかには想像もつかないような気持ちになっていたんだろう。
 なんだか虚しさで胸がいっぱいになる、悲しいニュースだった。

 ここで、一度「いじめ」と言うものについて考えてみたいと思う。
 まず、今回の件で学校側が言っていたような「いじめの事実」と表現できるものは存在しないのではないか。
 「いじめ」は証拠となるものがほぼ皆無だし、全く同じ言葉をかけられたとしても、人によって感じ方は様々。
 だから、万人が「これはいじめだ」とみなせるものを見つけるのはすごく難しい。
 だからと言って「これがいじめだよ」と定義を決めれば、必ず新しい種類の「いじめ」が発生し、また問題になるだろう。
 じゃあ、本人が嫌がることはなんでもかんでも「いじめ」だとみなすということでどうだとなるが、それはさすがに過保護だし、人の心の成長を止める要因の一つになりうると思う。
 まぁ、今回の件に関してはある程度校内の人間がいじめであるという意識を共有し、話し合いの場は持たれたので少なくとも今回の件は「いじめ」と判断して良いのだろう。

 ただ、また今回の件の学校側の対応のように話し合いをして、はい解決と言うのもどうであろうか。
 まぁ、これは俺が見た記事から受けた印象であって、実際は学校側でもっと細かな対応があったのかもしれないが、もし本当に一度の話し合いで解決したと思うのなら一度山にでも篭って修行してきて欲しい気分だ。

 と言うのも、普通に考えて一度いじめにまで発展した人間関係をたった一度の話し合いで修正できるだろうか。
 確実に無理だ。
 少なくとも俺はどちらの立場であったとしても無理だ。
 ただ、過剰なアフターケアはいずれ「元いじめ側」の反感を買うことに繋がるだろうし、その辺の加減が難しいのだろう。

 また、親側がまったくいじめに気づかないというのもどうだろう。
 今回の件では、親は気づかなかったというようなこのになっていたと思うが、普通に考えて自らを死に追い込むほど苦しんでいた我が子の様子の変化に気づかないのはおかしいのではないか。

 とりあえず、今回の件を契機に、今一度「いじめとはなんぞや」とか、「どうすればいじめを防いだり、対処したりできるのか」を考えてみて欲しかったりする。
 多分、教師や教育委員会だけの問題ではないはずだ。

 ちなみに、個人的にはいじめを防ぐ方法は思いつかないが、いじめの対処法?は転校しかないと思ってる。
 と言うのも、一度崩れた人間関係を修復するのは、まだ幼い年齢にある児童には不可能に近いと思っているからだ。
 悲観的だが、今の俺には本質的な解決は不可能にしか思えない。

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